放射能から子どもたちを守る栗原ネットワーク

放射能から子どもたちを守るために意見交換をする場所とする。

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放射能被害論の確立を

                                                           2012.6.30
放射能被害論の確立を ―放射線被害の総体とそのピラミッド構造を見ること
それによって、私達の、生命・生活・環境を守る方向が見えてきます。―
                      佐藤 茂雄(「放射能から子どもたちを守る栗原ネッットワーク」準備会)

6月4日提出の「栗原市における放射能対策を求める要望書(第5次)まえがき」より
そもそも、今回の福島原発事故に起因する放射能汚染問題をどう捉え、位置づけるか、ということです。加害者は、国と東電、であり、被害者は、国民(市民)です。自治体も原発誘致などしていなければ市民と同じ被害者です。でもその被害は、国境を超え、全世界へ、人間界を超え、自然環境・全地球環境全体へ拡がっていっています。その被害の総体をどう見るのか、その被害の構造をどう捉えるのか、その放射能被害のピラミッド構造をきちんと捉えていくことが重要になってきます。そこから、① 被害を統治者(国)=(東電とともに加害者でもある)の都合の良い範囲に限定してしまう、その範囲で受忍せよとすることは、栗原市であれば、それは「統治」の役割(国の施策に服従せよと)を背負わされるだけになってしまいます。そうではなく、被害の総体を、構造をきちんと捉え、予防原則に従って、予測できることを独自の判断で行い、施策を実行すべきです。(費用は、原因者負担の原則によって国・東電に請求を)自治体が「市民の命と健康を守る」その前面に立つ、「自治」の役割を果たすべきです。
①を見るうえで、これまで被曝者の救済がどのように行われてきたか、日本において、あるいは、チェルノブイリなどでも世界で、被曝者など放射能の被害がどのように扱われてきたか、あるいは、水俣、大気汚染公害等その被害に対して国や加害企業がどのように対処してきたか、どう責任を取ってきたかを見れば明らかです。それに加担する多くの科学者、専門家、学会…(マスコミも)ICRP(国際放射線防護委員会)は、その存在からも基準の考えからも人間の健康を第一に考えているものでありません。内部被曝の影響を一貫して軽視・無視してきています。それは、「経済的・社会的要因(原発による発電の利益等)の両立を考えて限界値を設定」しているものです。このように放射線による犠牲の受忍を強いているものです。そのICRPさえ、「リスクは線量が低くても存在する」と言っているにもかかわらず、日本政府は、ICRPをさらに悪用して、「限界値以下なら安全です」という宣伝さえしています。健康を守るべき政府のすべきことではなく、低線量の晩発性の被害を加速させるようなことをしています。
今回の多くの自治体が決めた除染計画をなかなか承認しない背景にはこうしたことがあり、千葉県の東葛地方の自治体は、国の基準には、内部被曝の影響が考量されていないとして、独自の判断として除染基準を子どもたちのいる学校等施設では、50㎝でなく、地表で0.23μ㏜/hにしています。
放射能被害論から見た自治体の独自基準設定の必要性
 今回の要望書では、一番の主眼点は、栗原市が「市民の生活と命と健康を守る」ため「独自の判断」(除染基準を子どもたちのいる学校等施設では、50㎝でなく、地表で0.23μ㏜/hにするなど)に踏み出すようにさせることでした。まえがきにもそのため、放射能被害の総体の把握、被害の構造―「放射能被害のピラミッド構造」(これは、私の新造語で、<資料>に)をきちんと捉えることの必要性を説いていきました。力を入れて臨んだ、市民の健康を第一に考えての「独自の判断」を、という点では、千葉県東葛地域の自治体―柏、流山、野田、松戸、白井が、国とは違って「独自の判断」をしている背景には、「国の基準自体が内部被曝の危険性を考慮したものでない不十分なものであり、安全基準ではない」ことを把握しているためだと指摘しました。宮城県でも、角田市と柴田町が最近「国の基準未満でも独自除染」へ踏み出したことも同じ事情であり、栗原市も是非、市民の生活と命と健康を守る立場から「独自の判断」をする動きに同調することを切望しました。また、この動きは、1970~80年代の公害・環境問題での地方自治体からの規制強化が、国の施策を変えていったことと、全く同じパターンであり、いずれ国の施策も変わらざるを得なくなると説得しました。しかし、栗原市は、この点は、「できるだけ下げるようには、…」と言いましたが、最後は、財政の問題の壁などを突き破ることができず、残念ながら、6月4日のこの段階では持っていけませんでした。
放射能被害論に立ち返り、生命・生活・環境を守る方向を
10万年先の未来へ大きな負債を既に生み出してしまっているこの今回の福島原発事故の深刻な事態。その克服には、途方もない時間と、すべての人類の英知の結集と、膨大な労力の投入が必要とされてきます。これまでの方法、従前のやり方では、もはや難しいことは明らかです。それにもかかわらず、国は、事故原因が十分に究明されていない中で、従前のやり方の延長し、原発再稼働を強行してきています。環境の再生への除染や、被害の補償、放射能被害者の救済・克服ということでも極めて遅れています。
それに、被害者の内部での断絶と対立、本来争うべきでない人たちが争っているという分断状況もあります。福島からの避難、区域指定やその変更による分断。放射能汚染が拡がり、未だに収束が見えない中で、それをどう見るか、どう対処するかで、様々な所で、空白や矛盾や葛藤、分裂・分断という “分断状況”が起きてきています。福島の中、避難した人達との間。福島以外でも、生産者と消費者、若い世代とそれ以外、権威ある専門家(学会・機関)と一般市民、科学者間での論争、市民の間でも宗教論争に似たやり取り。仮処理地・中間処理地選定問題やがれき問題で現れてきている軋轢・対立の図式。原発再稼働をめぐる地元とそれ以外の反応の違い。などの多種多様な“分断状況”がたくさんあります。私は、こうした困難な状況において、判断に迷ったり、壁にぶち当たったりした時、絶えず、「ことの根本」に立ち返るように努めています。それは、放射線被害の総体とそのピラミッド構造を見ることです。「ことの根本」=放射能被害論に立ち返る。そのことによって、私達の、生命・生活・環境を守る方向が、再び鮮明に見えてくるからです。放射能被害論に立ち返るということは、被害者の視点、市民の目、被害者の目線で見ることです。広島・長崎の被爆者たちが歩んできた困難な道に思いを寄せ、同じく、水俣、大気汚染公害等の公害病患者たちの歩んできた困難な道に思いを寄せることです。そうであるならば、ICRP等の役割もはっきりと認識できるし、その基準を採用する意味も自明のものとなってきます。
日本の政府、学会、産業界、マスコミもすべて、福島原発事故以前に行ってきた原子力開発推進への反省なしに、誰一人として責任を取らず、従前のやり方を押し通そうとしてきています。ICRP等のデータを重用し、安全・安心論を振りまいています。その言い方は、明らかに父権主義的であり、上から目線からです。政府や既存の多くの学者・専門家たちは、未だに安全・安心キャンペーンをやっています。国は、「放射能よりもストレスのほうが身体に悪い」というメッセージを大々的に発しています。(特に文部科学省が)子どもにストレスをかけないために、大人が感じてはいけないと、放射能の不安を感じること自体が禁じられているように、特に福島では、学校で子どもをストレスから守ろうというスローガンの下、安全、安心がさけばれすぎているようです。子どもたちは、この日本で、この先何十年も生きていかなければなりません。私達大人以上に、放射能の危険性と防護の方法をよく知り、生きていく力を身に付けていってもらいたいのです。子どもたちには、今回の事故を通して、自分で考える力、困難に立ち向かう力、問題を解決していく力、生きる力をつけてもらいたいのです。
放射能被害論に立ち、協同・協働する道を
また、放射能被害論に立つならば、私達は、誰と一緒に行動すべきか、協同・協働すべきかがはっきりしてきます。自分だけで悩んでいるのでなく、「情報共有」「学習」「つながる」「交流」することによって、自分の立位置が分かる、自分を、自分の家族を守るのは、自分自身の判断基準を持つしかなくそれをより確かなものにできます。協同することによって、地域、自治体、などの周りを変えていくことができます。それが確信になります。一つ一つ、一人一人のつながりを大切にし、積み重ねていくこと。ネット、ツイッターだけでなく、直接、人と人が出会うことの大切さ、そうした”場“が必要です。生活と言葉をつなぐ、言葉を出せない人に言葉を出せる“場”を作る。「子どもの健康を守りたい」「環境を守りたい」ということから結びつき、ネットワークを組み、この深刻な事態へ前向きに対処していけます。
どんなに時間がかかっても自分たちで横の連帯を広げて、世の中を、政治をそのしくみを、変えていくしかありません。その変化を実現するために、世代や考え方の違いをこえて、誰もが大切だと思う命を守るために、それぞれ自分のできることをしながら、みんなの力を強めていく努力の持続をしなければなりません。
可能な限りの被曝からの防護を実現するには、汚染を知り、放射能を知り、放射能から身を守る方法を、みんなで語り合う必要があります。汚染を語り、被曝に対する不安を語れる環境を、“場”を、放射能防護に関する自己決定の尊重を、自己責任という意味ではなく、自己決定の大切さ、決して大事なことは、他人まかせにしない、ということです。
ここ栗原では、昨年の3.11では、地震の被害は大きく、また、沿岸部や福島とも寸断されていました。まず、自分たちの周りを、当事者として事象をどう捉え、どう動けけるのか、原発事故、放射能の汚染の広がりを知ったのは、少し経ってからでした。自分の経験や判断のみに頼るのではなく、広く関わること。こうした冷静な判断が難しい非常時には、特に情報の間口を広げておくことが重要でした。私達は、すでに3年前から「ゆきとどいた教育を進める栗原市民の会」として「地域の子ども達の教育環境をよくしていこう」ということで活動していました。こうした意識や行動の目標を共有できる市民同士が、原発事故、放射能の汚染の栗原への広がりの事実を知る中で、調査や測定、マップ作りや学習会、見学会などを栗原母親連絡会と一緒になって行ってきました。栗原市に対する私達のスタンスは、①基本的に信頼する。②情報を共有する。③できるところから協働していく。というものです。そのため、私達は、栗原市への働きかけを重視し、すでに5次にわたる要望書を提出してきました。そうすることで、栗原市の放射能対策を前進させることができてきました。
最後に
私達は、今、「放射線量高濃度地域で、子どもがいる家庭での除染などを急ごう」と呼びかけてきています。私は、この間、栗原市の市民への出前測定を補うような、子どもがいる家庭への市民出前測定を始めています。それを始めてみて、「子どもを持つ親が不安(ストレス)を持つこと自体も、放射能被害だ」というとらえ方をする必要があると思うようになってきました。
原発事故によって受けた不安に対する慰謝料の請求がすでに多く出始めてきています。当然のことです。しかし、それは広島・長崎ではなかったことです。原爆被爆者には、未だに救済が限定的にしか行われず、国は新たな申請も打ち切ろうと幕引きをはかってきています。今回の福島原発事故では、当たり前のことですが、被害の捉え方は、広島・長崎のそれをすでに上回ってきています。国が放射能被害のピラミッドの上の方だけの、頂上だけの対策・救済で済ませようとしても、今回の福島原発事故では、それを許してはいけないし、すでに許さない状況が生まれきています。
福島で、避難先で、全国各地で、市民や子どもたちを守り、生産者を守る連帯した様々な運動や、原発の再稼働に反対する運動が拡がってきています。それらが連帯した運動となって、もっと、全国各地で、それもそれぞれがネットワークを組みながら前進させ、大きな全国民的な運動、うねりにしていかなければなりません。そうすることによって、必ず、放射能被害を克服し、私達の、生命・生活・環境を守る方向が見えてきます。
ここ栗原でも、思いを一つにした市民の横のつながりを強めていかなければなりません。もっと市民の間での協同の取り組みの輪を大きく広げていく必要があります。栗原市の団体,グループ,個人のみなさんに,「情報を共有し」「学習し」「つながり」「「交流する」場として,私達は、今、「放射能から子どもたちを守る栗原ネットワーク」の結成を呼びかけています。
<資料>
放射能被害のピラミッド構造(その1-原爆被爆者)
原爆症認定制度
 
認定には、原爆の放射線が原因で発病した(放射線起因性)、治療が必要な状態にある(要医療性)という2要件を満たす必要がある。
認定者数は手帳所持者約25万人の1%未満にとどまっており、認定されない被爆者は、原爆症認定申請をしたにもかかわらず、厚生労働省から放射線が原因ではないとして原爆症の認定を却下されたことに対して、その却下処分の取り消しを求める裁判(原爆症認定訴訟)を起こしている。
これにより、認定を求める被爆者の集団訴訟で相次ぎ敗訴した国は基準を緩和し、爆心地から約3.5キロ以内で被爆した人や、原爆投下後約100時間内に同約2キロ以内に入った人などの一定の条件で、がん、白血病、心筋梗塞(こうそく)、副甲状腺機能高進症、白内障 の5つの疾病にかかった場合は積極認定する新基準を導入している。(原爆症認定制度 マネー辞典09.12.22更新 )
集団訴訟で原告勝訴が相次いだのは、爆発後一分以内の初期放射線被爆だけを認定の判断材料にし、放射線降下物や残留放射線などの外部ないし内部被ばくの影響をほとんど無視した改定前の認定基準が断罪され、この基準で切り捨てられてきた遠距離被爆者や入市被爆者、幅広い病気が原爆症と認められたからです。 しかし、未だに国は、この流れに逆行し、従来の審査方針に固執し続け幅広く認定するという姿勢を採っていません。2008年の改定、2009年の一部再改訂のもかかわらず、17700件を超える審査の内件認定件数は8,800人程度までしか到達していません。3.5%にすぎません。毎年多くの被曝者が亡くなっていく中では、認定被爆者の総数の増加は微々たるものでしかありません。このように国は、相変わらず被爆実態・被爆者の苦しみと正面から向き合おうとしていません。被爆者はこのままでは集団訴訟を終わらせることはできない状況です。残された時間との勝負となってきています。(最近の6月25日の「被爆体験者」訴訟の長崎地裁判決では、原告側が敗訴し、福岡高裁へ控訴へ)
 このように原爆被爆者約25万人のうち、戦後から最近までは、その1%だけ、相次ぐ原爆症認定訴訟敗訴によっても3.5%までしか国は認定してきていません。こうして、国が被害補償をしているのは、氷山の一角、原爆被爆―放射能被害のピラミッド構造の、その一番上だけなのです。
放射能被害のピラミッド構造(その2-環境被害
「環境ストック概念を用いた公害地域再生の理論的検討」
-持続可能な地域発展に向けてー清水万由子(京都大学大学院気球環境学舎) 2008 
の P8の「図1環境被害のピラミッド構造」を援用してみます。 (作成は、佐藤 茂雄)
piramid20120703


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  1. 2012/07/03(火) 08:08:40|
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